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神戸地方裁判所 昭和59年(ワ)634号 判決 1990年8月08日

主文

一  被告は、原告に対して、金四五〇八万七〇六六円及びこれに対する昭和五九年一月二〇日から完済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

二  参加人らの原告、被告に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、原告と被告との間に生じた分は被告の負担とし、参加に関する訴訟費用は参加人らの負担とする。

事実及び理由

第一申立

甲事件

(原告)

主文一項同旨

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

乙参加事件

(参加人)

一  別紙預金明細の内、(イ)及び(ロ)の預金債権が参加人ネッスル日本労働組合神戸支部に属することを確認する。

二  別紙預金明細の内、(ハ)ないし(リ)の預金債権が参加人ネッスル日本労働組合姫路支部に属することを確認する。

三  被告は、参加人ネッスル日本労働組合神戸支部に対し、金一一〇〇万五九七一円及び昭和五九年五月一二日から年六分の割合による金員を支払え。

四  被告は、参加人ネッスル日本労働組合姫路支部に対し、金三四〇八万一〇九五円及び昭和五九年五月一二日から年六分の割合による金員を支払え。

五  参加による訴訟費用は、原告及び被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

第二 事実の概要

(争いのない事実)

一  被告金庫に、別紙預金明細記載の、預金名義人をネッスル日本労働組合神戸支部長、同姫路支部長とする預金が存在する(以下、「本件預金」という)。

これら預金がなされた昭和五七年当時、ネッスル日本株式会社(現在のネッスル株式会社、以下「会社」という。)内に、全国組織の労働組合である斎藤勝一を委員長とするネッスル日本労働組合(以下「旧組合」という)があり、神戸、大阪、東京、姫路、広田等の各支部があった。本件預金は、この組合の組合員から徴収された組合費の一般会計の剰余金、闘争資金、組合補償資金、慶弔資金を財源とする。

二  旧組合は、昭和五七年八月に紛争が生じ、現在、会社内に、全国組織の労働組合としては、原告組合と、斎藤勝一を委員長とするネッスル日本労働組合(以下「訴外組合」という)がある。

(原告組合の請求)

旧組合は、単一の組合であり、よって、本件預金は組合支部長名義となっているが、組合本部である旧組合の預金であった。

原告組合は、旧組合と同一性を保ち、本件預金の預金者であり、被告金庫に、昭和五八年一一月二日頃、到達した書面により、本件預金の解約の意思表示をした。

よって、原告は、被告金庫に本件預金並びに訴状到達の翌日である昭和五九年一月二〇日からの遅延損害金の支払いを請求する。

(参加人らの請求)

旧組合は、事実上、少なくとも財政処理に関しては、各支部は独立の組合で、各支部組合の連合体であった。そうでないとしても参加人らは権利能力なき社団としての実態を備えていた。

そして、参加人らは、独立の組合として、そうでないとしても権利能力なき社団として本件預金をしたので、参加人らが本件預金の預金者である。

よって、参加人らは、原告組合に対して本件各預金が参加人ら組合のものであることの確認、被告金庫に対してその元本及び参加申立ての翌日(昭和五九年五月一二日)から遅延損害金の支払いを請求をする。

仮に、本件預金が旧組合の預金だとしても、旧組合と同一性を保っているのは斎藤勝一を委員長とする訴外組合であって、原告組合ではないから原告組合の請求は理由がない。

(被告金庫の態度)

被告金庫は、本件預金が原告組合、参加人ら組合のいずれに帰属するかは不明で、正当な預金者に払い戻しをするとの態度である。

(争点)

本訴の第一の争点は、本件預金の預金者は、旧組合か、参加人らかという点にあるが、その点は預金当時に、旧組合は単一の組合であったか、各支部組合の連合体であったか、仮に前者だとしても参加人らが権利能力なき社団として本件預金をしたのかにある。

次に、旧組合が預金者だとした場合、原告組合は旧組合と同一性を保っているかが争点となる。

原告、参加人らの右各争点に対する主張は、別紙のとおりである。

第三 争点に対する判断

(本件預金について)

別紙預金明細の内、「ネッスル日本労働組合神戸支部執行委員長松浦勝」名義と表示されている分は、参加人ネッスル日本労働組合神戸支部が預金通帳を所持し、その預金名義人の記載は、普通預金はネッスル神戸支部様、定期預金はネッスル労組神戸支部様と記載されている。また「ネッスル日本労働組合姫路支部萱原定彦」名義と表示されている分は、原告が預金通帳を所持し、その預金名義人は、ネッスル姫路労組慶弔金様、ネッスル姫路労組一般会計様と記載されているのが各二通、ネッスル姫路労組補償基金様、ネッスル姫路労組闘争NO1様、同NO2様と記載されているのが各一通となっている。

<証拠>

なお、弁論の全趣旨からすると、本件預金が昭和五八年一月以前の旧組合の剰余金、特別会計の闘争資金、組合補償資金、慶弔資金を財源としていることは、原告と参加人ら間に争いがなく、また、昭和五八年一月以降の利息の繰り入れ、満期後の更新により、預金金額が別紙預金明細に記載されている金額と異なり、また「ネッスル日本労働組合姫路支部萱原定彦」名義の預金の口座番号は変更されたが、原・被告・参加人ら間の預金の同一性についての認識が一致していることは争いがないと解される。

(旧組合の支部の地位)

一  会社には、昭和二一年五月に淡路島所在の広田工場に淡路煉乳従業員組合が、昭和三五年六月に神戸本社に神戸本社従業員組合が結成され(神戸本社従業員組合には東京営業所、姫路工場の従業員も加わっていた)、この両組合が一体化して昭和四〇年一一月旧組合が設立された。当初、神戸、広田、東京、姫路の四支部が置かれていたが、その後、大阪、島田、霞ヶ浦、日高の四支部が追加された。

旧組合は昭和五五年七月一八日に法人としての設立登記がなされた。参加人ネッスル日本労働組合姫路支部の設立登記は昭和五八年九月三〇日、参加人ネッスル日本労働組合神戸支部の設立登記は昭和五八年一〇月一七日である。

<証拠>

二  旧組合の第一回定期全国大会は、昭和四一年八月二七日開催されたが、この大会の議案書には、旧組合は単一組織として発足したことが明記されており、旧組合規約は次のとおり組合が単一組織で、支部がその下部機構にすぎない規定となっている。(当初の旧組合規約はその後改定されたが、以下の諸規定については根本的に同一である。)

組合員の範囲は、会社の従業員及び本部執行委員会で加入を承認された者並びに臨時従業員等で本人が希望し本部執行委員会が認めた者とし、従業員たる資格を失った時は組合員たる資格も失う。組合員が脱退する場合は、脱退届を所属支部を経て本部執行委員長に提出し、本部執行委員長がこれを認めた場合に脱退することができる。

組合を運営するために本部、支部、分会の機構を設ける。

本部は、組合全体を統括し、組合を代表して業務を行う機構であって、本部執行委員会で運営され、業務運営について責任を負う。

支部は、事業所又は地方別に設け、その事業所又は地方の組合員で構成する。支部の設置、改廃は本部執行委員会の決定による(但し、全国大会の承認を得る。)。

支部は、本部と組合員との意思交流の徹底を図るためにその支部に関する一般組合活動を行う機構で、支部執行委員会で運営され、規約及び上級機関の決定に反しない限りその業務遂行の自主性が認められるが、その諸活動を正確、迅速に本部へ報告しなければならない。

組合員は組合費その他の負担金を納入する義務を負い、組合費は組合員各自の基本給、一時金の一定割合とする。

組合の財政は、組合費及び寄付金その他の収入で賄い、会計は一般会計と特別会計とし、一般会計決算による剰余金の処分は大会で決定する。決算に関する報告書類は、定期大会毎に公表して承認を受けなければならない。

支部に関して、支部機関(支部大会、支部執行委員会)、支部書記局、支部役員等の規定が設けられている。

<証拠>

三  参加人らは、旧組合は、前記のとおり二組合が一体化したこともあって、組織上も、財政上も支部の独自性が保持され、事実上連合組織であったと主張する。

右規約からすると旧組合は、中央委員会制、中央執行委員会制をとっていないし、剰余金並びにその処分についての規定は、本部、支部の双方に関するものと解されることは参加人らの主張するとおりである。

さらに昭和五七年八月に後記紛争が生じるまで、各支部の委員長はすべて本部役員となっており、組合設立当初から昭和五〇年までの間、各支部は徴収した組合費の内の〇・五パーセントを支部分担金として本部に送金し、残りを支部の財源と、本部と各支部は別個の財源で独自に予算を設定していた。そして全国大会では本部の予算および決算だけについて承認、報告が行われ、支部の予算等は協議されなかった。昭和四七年会社との間にチェック・オフ協定が締結されたが、チェック・オフされた組合費は各支部の預金口座に振込まれ、支部は支部予算額を控除した残りを本部に送金するという従前と同様の措置がとられたし、各支部に生じた剰余金が本部に送金されることもなかった。

<証拠>

四  しかし、旧組合は単一組織として設立され、それに応じた規約を制定していることは前記のとおりであり、そして、合併に際し、合併後の役員等の選任、資産の管理等について従前組織の利害を考慮せねばならないこと、合併後においても、直ちに組織上、財政上一体化することができず、いわば寄合い所帯的な面が残り、一体化に相当期間を要することは見易いところで、このような事情を考慮すると、中央委員会制、中央執行委員会制を採用しなかったこと、相当期間にわたって支部が本部とは別個の財源で独自予算を設定していたからといって、そのこと自体によって旧組合が支部組合の連合組織とはいえない。

また、預金については原告の主張するように各支部所在地の労働金庫との関係も考慮しなければならない面があることも推測に難くない。

そして旧組合の本部役員は、支部の委員長のみで構成されていたものではないし<証拠>、そもそも前記のとおり全国大会で選出されていたこと、旧組合には支部独自の規約はなく、支部が独自で組合員から組合費を徴収することもなかったのであるから、旧組合が事実上、あるいは財政上、支部組合の連合組織であったと認め難いところであるが、さらに旧組合は、本部が組合の資産を一元的に管理するべく次のように財務処理を改め、さらには規約を制定し、これに基づいて運営していた。すなわち、

1  旧組合は、昭和四九年に至り財政処理方法の統一を課題とし、財政処理規定を制定することを決定し、昭和五〇年八月に開催された第一〇回定期全国大会で、昭和五〇年度から本部、支部の個々的な財源の枠を超えた全組合的な基準で予算を設定すること、さらに昭和五一年度から本部集中会計に移行すること、これに伴い予算及び決算草案の編成を書記長会議で行うことを決定した、そしてこれら決定により、規約七七条「この組合の会計処理は別に定める財務処理規定による。」との規定に基づき財政処理規定(昭和五一年七月一日から実施)を制定した。

財政処理規定には、

本部執行委員長は組合会計を代表する。予算は本部執行委員長が原案を作成し、財務部長は財政処理規定に定める勘定科目に従ってこれを編成し、定期大会で審議決定する。

決算は毎年一回実施し、決算に関する報告書類は定期大会に提出して承認を受けなければならない。

組合の会計は、一般会計と特別会計とし、一般会計は運用に関するものであり、特別会計は、闘争資金、慶弔資金、補償資金に関するもの及びその他全国大会において設置を決定したものとする。

銀行預金の開始、小切手の発行は本部執行委員長の名義とし、署名捺印を要する。但しやむをえない場合には書記長名義とすることができる。支部においてはこれに準じなければならない。

等が規定されている。

右各決定並びに財政処理規定制定の後、昭和五七年までの間に、旧組合の本部・支部の予算は、本部書記局が予算編成の基準を予め示し、この基準に基づいて各支部が作成した予算案を各支部の書記長が持ち寄り、書記局会議で各支部の状況を勘案して各支部の予算案の枠を決定する、これを本部執行委員会に報告してその確認を得て予算案を作成し、定期全国大会の決議を得る、この方法で決定される支部の予算は、各支部の支出の総額で、支部の支出の細目は各支部の支部大会で決定する、との方式が確立するに至った。

そして、昭和五一年一〇月から、各支部は、毎月徴収した組合費から、右のようにして定められた支部の予算枠の一二分の一を控除し、残りは本部に送金するようになった。

もっとも、その後においても従前同様、各支部は剰余金を本部に送金することはしていない。

<証拠>

2  全組合的な基準で予算を設定するとの右決定後で、財務処理規定の実施前である昭和五〇年度の決算・監査報告の一般会計の部は、本部一般会計について記載しているだけであるが、参考として前年までの決算・監査報告にはなかった「本部・支部連結一般会計収入」との記載があり、そこの「収入の部」欄には各支部の繰越金を総計した額が記載されている。

そして、昭和五一年開催の第一一回定期全国大会、翌年の第一二回定期全国大会の予算方針についての議案には、各支部の累積剰余金は前期繰越金として一般会計における組織全体の財源として見込む旨記載されており、それ以降はそのような記載はないが、予算総枠は同様の方法で算出されており、また昭和五六年の第一六回定期全国大会までの間、決算・監査報告の一般会計の部は、各支部の剰余金を翌年度に本部の繰越剰余金に計上するという処理をしている。

他方、姫路支部の昭和五一年から同五六年までの第一一回から第一六回までの大会議案書、神戸支部の昭和五六年開催の第二一回の大会議案書の各決算報告書は、剰余金を収入として計上していない。

<証拠>

五  右財政処理規定に定められている補償資金、慶弔資金、闘争資金につき、旧組合は、組合補償規定、組合慶弔見舞金規定(いずれも昭和四六年八月二八日から実施)、闘争資金積立規定(第七回定期全国大会で定めたものを第九回定期全国大会の承認により改正し、昭和四九年一〇月から実施)を制定しているが、これらの規定が制定された目的、財政処理規定制定後のその運用は、次のとおりである。

1  闘争資金は、ストライキによる賃金カットの補償を目的とするもので、昭和四九年以前は、各組合員から徴収した分は各組合員に帰属するものとして処理されていたが、闘争資金積立規定は、闘争資金は組合費とは別に毎月の基本給及び夏期、冬期の一時金の一定割合を徴収し、支部で労働金庫口座に預金し、月末まで本部に報告する、この積立金は特別会計として一般会計とは別に本部で記帳、会計処理する、支部会計では闘争資金会計は行わない、使用基準の詳細は本部執行委員会で決定し、資金の返却はしない旨規定した。

闘争資金積立規定実施後、各支部は本部の求めに応じて資金の積立て状況を本部に報告し、闘争資金積立金は本部会計の予算、決算に特別会計として計上されるだけで各支部の予算、決算には計上しないなど、この規定どおりの処理が行われていたうえ、ストライキによる賃金カット分を補填するために、本部執行委員会が各支部に預金の取崩しを決定し、さらには各支部で保管していた闘争資金を各支部口座間で移送することも指示していた。

2  補償基金規定は、組合員が正当な組合活動によって不利益を被った場合に必要な補償をするために制定され、第一一回全国大会での昭和五一年度予算の編成に際して、特別会計を開設し、開設基金として一五〇〇万円を一般会計から振替えること、昭和五一年度から補償基金の積立を一般会計から行うこと、積立金は毎月の組合費収入の四八分の一相当額とし、年度内に労働金庫口座に積立てることが決定され、同年度の予算から特別会計として補償基金会計が設けられた。

以後毎年、組合費収入の四八分の一が積立てられ、本部会計の予算、決算に特別会計として計上されたが、資産確保のための財政措置はその後も実施されず、第一六回定期全国大会で補償基金特別会計の資産確保について昭和五六年度分までの執行が決定されたものの、結局、昭和五七年まで資産確保の措置はとられないままであった。

なお、支部会計では補償基金会計は扱っておらず、東京支部では昭和五四、同五五年度の各決算監査報告書、同五六年度の決算報告書の貸借対照表の負債の部に補償基金会計が計上あるいは記載されているが、特別会計には計上されておらず、「預り金」名目となっており、姫路支部の第一一回から第一八回までの大会議案書、神戸支部の第二一回大会議案書の決算報告書にはいずれも補償基金の計上はない。

3  慶弔見舞金規定は、規定が各支部単位で運営され、支部の会計とは別に収支を計上すること、会計報告は支部の定期大会で行うと規定されている。

<証拠>

六  前記のとおり、旧組合は規約、実態とも単一の労働組合であったが、右認定事実からすると財政処理においても、組合が規約に基づき組合費等を徴収し、一般会計及び特別会計を設けてその財政を運営し、支部は一般会計の予算枠を本部で決定され、その支出の細目を決定するのみで、その剰余金は本部の予算、決算に計上されていたこと、財政処理規定に特別会計には闘争資金、補償資金、慶弔資金に関するものが含まれると定め、闘争資金は、規定に基づき本部が記帳会計処理しており、補償基金についてもやはり本部が記帳会計処理しているので、財政処理についても単一組合で、支部はその下部機関に過ぎないことになる。

右のような実態からすると、支部の剰余金、闘争資金、補償資金が支部名義で預金されていたとしても、これら資産が旧組合に帰属するものであることは明らかであり、旧組合が右のように名実ともに単一組合であり、財政処理規定並びに闘争資金、補償資金についての右のような処理からすると、慶弔資金についても事務処理が支部に任されているのみで、やはり本部に帰属していると認められる。

旧組合の設立後、相当期間、支部が固有の財源を保持し、独自に予算を設定していたことは前認定のとおりであるが、右のような旧組合の組織面、財政面についての規約、その後の旧組合の決定、制定あるいは改定された規約、規定、これらに基づく運営の実態からすると、それは設立後の一体化の過程的な現象であって、この事実をもって参加人らの主張するように、旧組合が財政的には連合組織であったということはできない。

また、昭和五四年、同五五年の春闘が長引き、一時金の支給が遅れた際に、旧組合は組合員に資金を貸与したが、この当時、本部、支部全体の総計では剰余金があったにもかかわらず、旧組合は、その資金を食品労連及び労働金庫から借入れていること、また昭和五五年に決行されたストライキの賃金カットの補償の際に、同年六月二〇日に広田支部から神戸支部に六〇〇万円、姫路支部から東京支部に一五〇〇万円、大阪支部に四〇〇万円、日高支部から三〇〇万円、島田支部から五〇〇万円が大阪支部に移送されたが、本部は同月三〇日付けで、右移送された金額を各支部に振戻していることが認められる。

<証拠>

参加人らは、剰余金、闘争資金が各支部の資金であって、本部のものでなかったから右のとおり本部は支部の剰余金を拠出させることをせずに食品労連、労働金庫から借入れたのであり、また各支部は移送に応じたものの、支部独自の財産であるから、本部は支部の決算において計上できるように決算前日の六月三〇日に振戻し措置をした旨主張し、証人椿弘人も同旨の供述をする。

しかし、右食品労連からの借受けは無利息であったし、昭和五五年において闘争資金は累積欠損金があって赤字で、その後も余裕がなかったことが認められ、そうすると組合においてある程度の余裕を必要としたので借入れたとの三浦一昭の供述を首肯でき、また移送、振戻しについて本部・支部間の貸付金処理がなされないので、いずれも右の判断を左右する事情ではない。

<証拠>

証人椿弘人は、旧組合においては昭和五七年まで支部の予算はすべて支部任せで、剰余金を本部会計に計上してあるのは単に記帳上のことだけであるとか、支部の会計に剰余金、闘争資金が計上してないのは記帳間違いであるとか供述するが、全国大会で決定して規定が設けられ、その規定に従った処理が単に名目的なものであったとは到底認め難いところで、この供述が採用できないことは多言を要するまでもない。

七  前記のとおり旧組合の支部には独自の規約はなかったのであるから、支部が独立の団体であったことも疑問で、参加人ら支部が権利能力なき社団であったとの主張はそもそも採用し難いところあるが、右のとおり昭和五一年以降、旧組合における財政処理は、一般会計、特別会計を計上し、本部が一括して一元的に管理、処理する体制が確立していたのであり、本件預金は剰余金、闘争資金、組合補償金、慶弔基金を財源とするところ、これらはすべて旧組合に帰属し、且つ旧組合が管理、処理するものであるから、たとえ旧組合の支部が権利能力なき社団であったとしても、これらが支部に帰属することはない。

右の次第で本件預金の財源は旧組合の資産で、支部は独立した組合でないことはもちろん、権利能力なき社団としての地位にもなかったのであるから、支部が預金名義人となっていたとしても、預金債権者は旧組合であったことになる。よって、本件預金の預金債権者が参加人らであることを前提とする参加人らの原・被告に対する請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないことになる。

(旧組合の承継者)

昭和五七年七月以降の旧組合内の対立、その結果原告組合と訴外組合が並存するに至った経過は、関係者の個々の行為についての評価の点を除けば、原告と参加人らとの間において争いがないと解され、この事実並びに関係証拠により、この間の事情は次のとおり要約できる。

<証拠>

1  旧組合は規約において、全国大会が組合の最高議決機関であること、全国大会は、代議員および本部役員で構成され、定期大会と臨時大会の二種類とし、本部執行委員長の招集により開催すること、定期大会は年一回とし、原則として八月に開催すること、大会代議員は大会の都度支部を一つの選挙区として組合員の中から二五名に一名の割合で選出すること等を規定していた。

2  昭和五七年七月二一日、旧組合の本部執行委員長は第一七回定期全国大会を同年八月二八日、二九日に開催することを公示し、本部選挙管理委員長は大会代議員並びに本部役員の選挙を同月一一日を投票日とすることを公示した。そして、執行委員会は規約に基づき今回の本部役員の選挙は組合員の一般投票による旨決定した。

ところが、同年八月六日、本部執行委員会は、会社が露骨な選挙介入をしているので対策を講じる必要があることを理由に、第一七回定期全国大会の延期、各選挙の凍結を決定し、本部執行委員長並びに本部選挙管理委員長はその旨公示した。

これに対し、当時執行委員ではあったが本部執行部の在り方に批判的であった三浦一昭が発起人となり、各選挙の実施、定期もしくは臨時全国大会の開催を求める署名行動が開始され、集まった署名は組合本部に提出された。

3  本部執行委員会は、同年九月二四日、凍結されていた大会代議員並びに本部役員の選挙の中止を決定するとともに、改めて選挙を行うことを決定し、大会代議員選挙の投票日を一〇月一八日、本部役員選挙の投票日を一一月一日とし、第一七回定期全国大会を同年一一月六、七日に開催することを決定したが、さらに同月三〇日に三浦一昭らは組織を混乱させたとして組合員の権利停止等の制裁処分に付すべきである旨本部審査委員会に答申を求めた。

右本部役員選挙の結果は、三浦一昭は本部執行委員長に当選したが、旧組合は選挙規定で、本部役員は選挙の投票において、組合員もしくは全国大会代議員の有効投票数の過半数に相当する支持がなければならず、この投票数に達しない者があって定数に満たない場合は、上位者について信任投票をすると定めていたところ、副委員長、執行委員九名について過半数を得ることができず、規約により信任投票を要することとなった。代議員選挙の結果は、前執行部支持派が四三名、これに対立する三浦一昭ら派が三五名当選した。

この間の一〇月三一日に本審査委員会は、本部執行委員会に三浦一昭らを二年間の組合員権利停止処分等に付すべき旨を答申した。

4  同年一一月六、七日開催の第一七回定期全国大会に、三浦一昭ら派代議員三五名は欠席し、前執行部支持派の代議員四三名のみが出席した。組合規約では、議決権を持つ構成員の三分の二以上を定足数としていたが、本部執行委員会は、欠席した代議員は大会をボイコットして代議員の義務を果たさないのであるから代議員の権利を放棄した者で、これらの者は組合規約の議決権を持つ者に該当しないとみなして、出席した代議員のみで大会を開催することに決定した。

こうして開催された大会で三浦一昭らに対する統制処分及び組合役員になるには「団結強化のための方針」の遵守などを書面で誓約しなければならないこと、昭和五七年度本部役員選挙は一般投票を中止し、第一七回定期全国大会において議決権を有する代議員の投票により選出すること、続開大会を同月一三日に開催し、そこで投票する旨を決議した。

三浦一昭ら派代議員三五名の欠席の理由は、本部副委員長、執行委員九名につき信任投票の実施がなく未確定であること、会計監査が未了であること、大会の場所や時間の連絡がなかったというものであった。

右のとおり権利停止を受けた三浦一昭らは、神戸地方裁判所にこの処分の停止を求める仮処分を申請し、同裁判所は同年一一月一三日にこの申請を認容する仮処分決定をした。

5  右第一七回定期全国大会で開催が決議された続開大会は、同月一三日に招集され、これも前執行部支持派の代議員のみが出席しただけであるが、前同様の見解のもとに大会は開催され、そこで右仮処分決定をうけて、三浦一昭に対する統制処分を取り消したが、改めて同一の権利停止処分に付す旨決議し、本部役員の投票がなされ、本部執行委員長に斎藤勝一が選出された。

三浦一昭は、同月一七日に神戸地方裁判所に、右続開大会でなされた権利停止処分の停止を求める仮処分申請を、同年一二月二七日に斎藤勝一を本部執行委員長に選出した行為の効力停止を求める仮処分申請を、前記選挙で執行委員に選出された田中康紀らは一一月二〇日に本部役員の地位保全を求める仮処分申請をしたが、この仮処分申請のうち、田中康紀らの本部役員の地位保全を求める仮処分申請はすでに申請の役員に就任済みであるとして却下されたが、他は認容された。

6  昭和五七年一二月以降、三浦一昭らは「ネッスル日本労働組合」各支部で支部大会を開催し、未だ本部副執行委員長、執行委員九名が未確定であるとの前提のもとに、旧組合規約に基づき、昭和五八年三月一八日から二四日にかけて信任投票を行った。なお、この投票において、斎藤勝一を委員長とする旧本部支持派による組合の組合員についても投票権を認め、組合員総数は二〇〇〇名余であった。

他方、斎藤勝一を委員長とする旧本部執行部支持派による組合の執行部は、組合員に、三浦一昭らが開催した支部大会、選挙に参加しない旨の確認書の提出を求め、この確認書を提出した者を「ネッスル日本労働組合」の組合員とし、これらの者によって昭和五八年一月一五日に第一八回臨時全国大会を開催した。さらに同年三月二〇日第一九回臨時全国大会を開催し、そこで組合の名称を「略称をネッスル第一組合とする」などの組合規約の改定を行ったが、この時点での組合員数は二六九名とされていた。

7  三浦一昭を本部執行委員長とする組合は、その後、昭和五八年六月四、五日に臨時大会を開催し、「ネッスル日本労働組合」の昭和五七年度本部選挙で三浦一昭ら現執行部が選任され就任したこと、第一七回定期全国大会の開催、決議がすべて無効であることを確認した。そして、同年八月二七、二八日に第一八回定期全国大会を開催し、代議員による本部役員選挙を行ったが、これら臨時大会、定期大会について、前同様、斎藤勝一を委員長とする旧本部支持派による組合に通知をし、代議員の割当もこれらの組合員を含めて決定した。

旧組合は、昭和四七年九月に上部団体である全日本食品労働組合に加入したが、昭和五八年以降、三浦一昭を本部執行委員長とする組合がこれに加入していると取り扱われている。

なお、三浦一昭は、昭和五九年八月二六日に本部執行委員長を退任し、後継の委員長が就任した。

二 右のような経過からすると、旧組合は、昭和五七年七月に第一七回定期全国大会の開催の決定、代議員、本部役員の選挙の公示を契機に、当時の本部執行部支持派とこれに反対する派が対立し、その結果、昭和五七年三月には、三浦一昭を本部執行委員長とする組合(原告組合)と斎藤勝一を委員長とする組合(訴外組合)が並存するに至ったと認められる。

両組合の内、原告組合は、旧組合の規約、諸規定をそのまま承継し、これら規約、諸規定に基づき運営され、その構成員は訴外組合の組合員を含む旧組合の構成員と同一で、実質的にもその大多数を組合員としており、右の経過からすると本部役員は旧組合の規約に基づいて正当に選任されたといえるのに対し、訴外組合は、組合員の資格要件として「確認書」の提出を要求し、これを提出しない者を排除しているばかりか、その後においてその組合規約を変更しており、旧組合とは異質の集団といわざるを得ない。

これら事情からすると、両組合が並存するに至ったことをもって組合の分裂と見ることはできず、原告組合が旧組合を承継していると認められる。

参加人らは、原告組合の本部役員は、第一七回定期全国大会その続開大会で権利停止の統制処分を受けており、その資格を欠くと主張し、証人椿弘人もその旨供述するが、この大会は定足数を欠いていたことは右に見たとおりであって、この処分は無効というほかない。

よって、原告組合が旧組合の承継者で、本件預金の預金債権者ということになるから、原告組合の被告に対する本件預金の払い戻し請求は理由があることになる。(結論)

以上のとおり原告の被告に対する請求は理由があり、参加人らの原・被告に対する請求はいずれも理由がないので、原告の被告に対する請求を認容し、参加人らの原・被告に対する各請求をいずれも棄却し、民事訴訟法八九条、九三条を適用し、仮執行宣言は事案に鑑み相当でないのでこれを付さないこととし、よって主文のとおり判決する。

(裁判官 岡部崇明)

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